2014年2月8日土曜日

教える側の方々へ。

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先日三女のオムツから直径1センチほどのおはじきが出てきたときは,さすがに空いた口がふさがりませんでした。tomoriです。子どもがご飯たべないとか偏食とかという話はよく聞きますが,我が家の三女は過食すぎてこまっています.


さて,以前ブロガーのちきりんさんのTweetのまとめが物議を醸し出しました。教育に興味があると言い出したら、その人はアガっている、という内容のものです。何かを教える立場の方にはぜひ一読いただきたいです.


このちきりんさんが言わんとすることって,何となく分かります.自分が学んだことを後進に教えたいというゾーンの人と,自分の学んでいる最中というゾーンの人の違いですね.この違いは,何かを成し遂げたいとか,教える事柄を追求したいという思いのベクトルがあるかどうかによって異なると思います.

僕は,教える側になったとしても,教育者の思いのベクトルは,後進に向くより教えたい事柄に向いたほうが良いと思っています.教える側のその思いが強ければ,後進もいつのまにか引っ張られるという感じですね.
教える側になると批判を受ける機会が一気に減ります。また人に教える行為は記憶に残る割合が最も高く、勉強してるって感じにもなります。この環境は心地よく、俺って出来るなぁ、という錯覚に陥りやすくなります。でも教えるって,自分が知り得た知識や技術を振り返り、体系化していくプロセスであり,自分の枠を大きくは越えられない構造のような気がします.新しいものを得ているようで、得ていない気がします.

そうならないためには、教える側が教えることを常に探求し続けている,学習者である必要があります。後進のために教えている、というより、自分自身の成長の一貫として後進と接している、という学習者のスタンスを持ち続けることが大切だと僕は思います。

当たり前なんだけど難しい。自戒もこめて書きました。


最後まで読んでくださりありがとうございました。寒いので寝ます。

参考文献:「齋藤孝の相手を伸ばす!教え力」








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